地道に生活を営む事は自分を支える事につながる。

私はこのブログで前夫について辛辣に書いていますが、結婚していた時は前夫の事を心から愛していました。

だから、結婚してからは自分なりに良い奥さんでいようと真面目に頑張っていました。

結婚した後、すぐに子供ができたので、子供が生まれれば、がんばって良いお母さんでいようと思い努力しました。

元義父母さんたちの前では良い嫁でいようとしました。

どうにか短気の性格を直そう、子供たちにはいつも笑顔で接しよう、夫の事は信じよう…前向きに、前向きに…変わるんだ、私は変われる、私は変わってもっと良い人間になれる!

そんな風に思っていました。なぜこんな風に思っていたかというと、やはり前夫にいろいろと指摘されることが多かったからだと思います。それに私はいい加減な性格ですが、真面目なところもあるのです。

それでも、私はそんなに賢くないし、冷静でもなく、感情的ですぐにかっとなったり、うまく立ち回れなかったり、失言をしてしまったり、おっちょこちょいでとてもじゃないですが、良い妻でも良い母でも良い嫁でもありませんでした。

前夫から「変わってほしい」と言われるたび、自己嫌悪でどこかに逃げたいような感情になったのを覚えています。

結局、前の結婚生活の中で私は変わる事はありませんでした。

さんざん「変わってほしい」と望まれ、自分も「分かった!私は変わるんだ!」と思ってみたところで無理でした。

今、思えば当たり前の事です。前夫が変わってほしいと望んでいた私が、本来の私なのだから変われるわけはないのです。いろんな経験を積んで、知恵をつけたり、丸くなったりすることはあっても、人ってそんなに簡単に変わるものではありませんよね。

変わってほしいと望まれることって、とても残酷なことだと思います。

私は前夫にとって、よくない嫁だったのでしょうが、それでも私は2人の子供たちを慈しみ育てていました。自分の事は二の次で、前夫や子供たちの事を一番に考えていました。

私は若い頃、オシャレが好きでした。

だけど、母親になったのだから、ちゃらちゃらした格好はせず、主婦らしくしようとオシャレもしませんでした。

そして、前夫の浮気が発覚しました。

浮気相手は私よりもうんと若そうで、とても派手な格好をしている女性でした。髪の毛はストレートのロングで腰まであり、ミニスカートを履いていて、大きなサングラスをしていました。

ものすごい衝撃でした。前夫がそんな女性と浮気だなんて信じられないと思いました。

私って何なのだろう、何だったのだろうと、家庭を支えてきた自分が一体何だったのか見えなくなってしまいました。

そして、そんな衝撃に打うちのめされていたわけですが、前夫は家を出て行っているため、いなかったわけです。

どんなに打ちのめされていても、1人で、小さな子供たちにご飯を食べさせて、お風呂に入れて、お乳を飲ませておしめを替えないといけませんでした。

朝になれば、幼稚園の子供のお弁当を作って、下の子を抱っこ紐で抱っこして、上の子と3人で登園します。夜眠れなくても、心が疲れきっていても、朝はやってきて、毎日しなければいけない事をこなさないといけません。

誰も母親業を変わってくれる人はいません。

赤ちゃんをおんぶして洗濯物を干して、お弁当を作って、朝ご飯を食べさせて…。

「ママ、ママ」と常に言う上の子と泣いてばかりの下の子。笑顔なんて出ませんでした。

上の子は喘息が出て病院ばかり行かないといけませんでした。

一度、夜中に息ができなくなり、救急車で運ばれたことがありました。「ママ、苦しい」と真っ白い顔で泣いている子供の姿に発狂しそうになりながら、救急車を呼びました。

慌てていたので携帯も持たず、下の子を連れて救急車に乗り込んで病院へ行きました。

病院で処置をしてもらった後、容体が落ち着いたので家に帰る事になったのですが、私は携帯電話も持ってきていないし、上の子の靴も持ってきていませんでした。

だから、公衆電話から前夫の携帯に電話しました。

前夫は寝ていたようでした。そして、事情を話しても病院に迎えに来てはくれませんでした。

私は泣きながら二人の子供を両脇に抱えて、タクシーに乗って帰りました。

この時の悲しさや悔しさはきっと一生忘れないと思います。

そんな中でも、生活は容赦なく私とともにありました。毎朝、起きて子供たちの世話をする。きちんとした生活ができていたとは思えませんが、それでも毎日何とか過ごしていました。

そして、離婚を決意する時がやってきます。

この時、私は思ったのです。

私はよくやったじゃないか。私は本気で前夫を愛して支え続けた。子供たちも一生懸命守り続けた。前夫は私を裏切ったかもしれないけど、私は家庭を守ろうと一生懸命がんばって生活を営んでいたじゃないか、と。

だから、もういいじゃないか。

私はきっと大丈夫。

こんな事ができた私は絶対にこれからも大丈夫。

私はがんばった自分自身を認めてあげようと思いました。だって、誰も知らないのです。歯を食いしばって地道に頑張ってきたことは私しか知らないのです。

私はこの自分の「生活を営む」という力に支えられました。

生活を営む事ができたのは、1人ではなく、子供たちがいたからなのかもしれません。

それからも、いろんな辛いことや大変なことはありました。

でも、私はあの時感じた「大丈夫」という確信をもって、生活をしてきました。

そうするより他にないからです。

子供たちにご飯を食べさせて、洗濯物をたたみ、お風呂を沸かし、絵本を読んでやり、公園に行っていました。

食器を洗い、子供の汚れた口をおしぼりでふいてやり、布団を干します。泣いたり怒ったりしながら、それでも逃げずに生活を営み続けました。

当たり前の毎日だけど、この「生活を営む」という事が今も私の支えになっています。きっとこれからもそうだと思います。

そして、そんな毎日が私にとってはかけがえのない宝物なのです。

泣きはらした目で、子供の笑顔に答えながら歩いた近所の公園や小さな子供の手。その時の私は幸せではなかったけど、かけがえのない時間だったと思います。そんな時間をちゃんと守れた私はえらいなあと、思い出して泣けてきます。

(ドン底の底の時はこの「生活を営む」という事すらできなかった時期もありました。でも、少しずつ回復していきました。ママ、ママと子供が必要としてくれたおかげだと思います。子供のおかげで生活を営むことができたのだと思います。)

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