大切な人の死にまつわる不思議なお話。

私は離婚をしたその年、いろいろと大変な状況でした。

前夫が家を出て行ったこと。そして、家を出て行ってしばらくしてから、私の父が亡くなりました。そのような大きな出来事が立て続けにあったため、ストレスと疲れで私の体調も悪くなり、めまいで起き上がれなくなることもありました。

父は肺癌でした。

それまで元気だった父ですが、いきなり字が書けなくなり、病院を受診したところ、「多発性脳梗塞」と診断されました。

そして同時に医師が言った事は「肺癌が原因で脳梗塞が起こっている」という事でした。

父に見つかった肺癌はこぶしほどの大きさでした。

肺癌の治療をするために、転院をしなければいけませんでしたが、転院先の病院は万床でした。なので仕方なく最初にみてもらった病院で療養をしていました。

しかし、日に日に父はどんどん悪くなっていきました。新たに脳梗塞が起こり、箸も持てなくなりました。

入院した頃は活気があったのに、どんどん痩せていき、それと同時に活気もなくなっていきました。

箸が持てなくなった父に食事介助をしたことがあります。

「情けねえ」と言いながら、父は泣いていました。

待てど暮らせど、転院ができなくて、このままでは父は死んでしまうと思い、私は転院先の病院に直接電話をし、そこの師長さんと直談判をしました。

そして、ようやく転院できたのです。

けれど、転院して3日後に父は亡くなりました。次の週から肺癌の検査をして治療方針を決めていきましょうと言われた矢先でした。

父が急変したその日、私は子供たち二人を連れて実家に泊まっていました。なぜその日泊まったのか、理由はありません。ただ何となく泊ったのです。虫の知らせだったのかもしれません。

父の療養の中で、私たち家族は「肺癌であるという事を父に告知するか」どうかの選択を迫られました。そして、なぜかその「告知するかどうするのか」という大切な場面に私が立たされることになりました。この事はまた別の機会に書きます。

父は肺癌が分かり、入院してからわずか1ヶ月で亡くなりました。

その時、下の子は1歳ちょっとでした。下の子はしゃべるのが早く、この頃すでに2語文が話せていました。

父の通夜の日、不思議なことがありました。下の子が、誰もいないところを指さして「じいじ、ここ」「じいじ、ここ」としきりに言うのです。

部屋の隅っこだったり、母の横を指さすのです。

親族が夕食を食べに外に出た時、私と子供たち2人と、妹の4人は、葬儀場でろうそくの火を消さないよう残っていました。すると、また下の子が言うのです。

「じいじ、ここ」って。誰もいない部屋の真ん中あたりを指さします。

「じいじがいるの?このお菓子、じいじにどうぞってしてみて」

と下の子にお願いすると、誰もいない空間に向かって下の子はお菓子を「ん、ん!」と言いながら渡そうとしていました。

私は下の子が指さすほうに向かって話しかけてみました。

「お父さん、いるの?いるんだったら、私の手をさわってみて」

私は何もないところへ手を差し出しました。そうすると、下の子は私の手を握って、誰もいない方へ持っていくのです。

ああ、お父さんはいるんだ。と思った出来事でした。

その後も、下の子は時々、家の中や母の横を指さして「じいじ、ここ」と教えてくれました。今思い出しても不思議な出来事です。しばらくしてから、一切しなくなりました。

そして、父が亡くなってから、私は看護学校へ行くことになるのですが、そこでも不思議な事がありました。

私が実習で受け持った患者さんとの出来事です。患者さんは70代後半の男性でした。

患者さんは学生の私を本当に可愛がってくださり、いろいろな事を教えてくれました。

人に思いやりを持つことが正しい道、だとか、もうあまり覚えていないけど、いつもいつも長い間お話をしてくださいました。

私は実習で疲れていたので、話を聞いていたいのだけど、うとうとすることもありました。

だけど、あたたかい眼差しで、いろいろな事を教えてくれるのです。

そして、その話す内容が、子供のころから父が私に教えてくれたことに良く似ていました。

「人をあなどらないように」「人は鏡と同じ。自分が相手を嫌いになれば相手も自分を嫌いになる」「人の道からそれたらいけない」といった内容の事です。

私は当時、まだ前夫の事を恨んでいましたが、何も知らないはずの患者さんの口から、「許して解放されたほうがいい」という言葉をもらいました。

極めつけは「料理は愛」という言葉をもらったのです。

これは父の口癖でした。父の部屋の壁にも貼ってあった言葉なのです。

私が最初に結婚した時の父からのお祝いは”包丁”でした。食事は体を作ると父から教えられていて、子供たちには、ちゃんと食事を作るようにと口うるさく言われていました。

実習が終わる日、患者さんに言われました。

「私はなぜかあなたにいろいろと言ったけど、よくわからないけど、あなたのご先祖さんか誰かに私の口を貸してあげて、あなたに言っているような気持ちだったんです」

私はその言葉を聞いて涙が出ました。お父さんが心配して患者さんの口を通して私にいろいろな事を教えてくれていたんだと思いました。

父は亡くなった後も、私の事を見守っているだろうと私には感じます。

私が今の夫と出会えたのも、父が引き合わせてくれたんじゃないかとまで思うことがあります。

「お前は気が強いからだめだ」と父は私によく言っていました。

気が強い私だけど、そんな私を全てひっくるめて愛してくれる穏やかな夫に出会うことができたのは父のおかげなんじゃないかと、何の根拠もないけど感じます。

大切な人の死を経験したことがある人の中には、私のようにこんな不思議な経験をしたことがある人もいるのではないかと思います。

私は目に見えない不思議なものってあるのではないかと父が亡くなって思うようになりました。

父が亡くなってから、私がずっと思っていたことがひとつあります。

父からずっと「旦那を許してやれ」と言われているような気がしていたんです。

人を恨み続けたり、怒りの感情を持ち続ける事ってしんどいので、自らそんな風に思っていただけかもしれません。

でも、本当に不思議なほど、父からその言葉を言われているような気がしていました。

もし本当に亡くなった父がそんな言葉を私にかけたいと思っていたとしたら、父は私の事を本当に心配し、私の事を大切に思っていたんだろうと思います。

もし、父が生きていて、「旦那を許してやれ」なんて言われたら、「できるわけないじゃん」と言い返してそうですけどね。

そして、私は傷ついただけじゃありません。私は前夫も含めてたくさんの人を傷つけてきてしまいました。

今はもういろんな事が過ぎ去って流れていきました。これを「許した」というのかどうか分かりません。

今は前夫だけじゃなく、私自身も何かに許されているような気がしています。

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